羽床城

別名-  付近住所 香川県綾歌郡綾川町羽床下  現在- 
2009/9/21 碑・案内板アリ 日本城郭大系


羽床氏  讃州藤家の祖である中御門中納言藤原家成の孫、資高が治承年間羽床の庄司となり、地名の羽床姓を名乗り、その子重高がここの羽床城を築城したと伝えられている。
 羽床氏の盛衰とともに変遷があったと思われるが、豊臣秀吉の島津征伐で弥三郎資吉が先鋒を担い、天正14年12月、豊後国戸次川の合戦で討死にし、羽床氏の嫡流は断絶、羽床城も廃城となった。
 城は中世の典型的な平山城で、本丸、二の丸のほかいくつかの郭を区画する土塁と空堀の遺構が明確に確認できる。
 精密な調査はされていないが、周辺には古墳が群集している上、城跡からは管玉も発見されており、古墳の上に築かれた中世の城であり、古墳時代から中世にわたる貴重な史跡である。